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連続投稿:OH!脳!補記

人はずっと救済を求めてきた

ブラタモリの
「お伊勢参り」の回などを見ていますと、
「人はずっと救済を求めてきたんだな」
としみじみ思います。

人はなぜ救済を求めるのか?
人間は本来的に精神が安定せず苦しむからです。
ではなぜ精神が安定しないのか?
人間には二つの大きな恐怖があるからです。
二つの大きな恐怖とは?
それはもちろん「生の不安」と「死の恐怖」です。

そもそも人間には予知能力はありません。
未来がどうなるかは分からない。
さすれば自然な感情として、
どうなるか分からない未来に対する不安が出てきます。
自分はきちんと成長できるのだろうか?
自分はきちんと大人になれるのだろうか?
という類の不安です。

落伍せず学業を修めることができるのだろうか?
まともな職業に就くことができるのだろうか?
家庭を築くことができるのだろうか?
大病にかかりはしないだろうか?
思いがけず犯罪者になってしまわないか?

これらのすべての不安に対して
「大丈夫です」と答えることは誰にもできません。
いつの時点でも未来は未確定だからです。
マクロな未来予想はある程度は可能ですが、
ミクロな個人の未来は絶対に予想できません。
明らかなウソつき以外は「未来を請け負う」なんて不可能。
つまり人にとって、生存そのものが常に不安の元なのです。

他の動物にはおそらく「生の不安」はありません。
人間は中途半端に知性を発達させた。
他の人たちの生きっぷり死にっぷりを、
自分自身に当てはめて想像可能になった。
この中途半端な想像力が不安の源です。
だから動物は未来を怖がらないが、
人間だけは未来を怖がるのです。

「死の恐怖」はその行き着く先です。
人間は不死身ではありません。
人間が生物の一員である限り必ず死はやってきます。
それはどうやら経験的に逃れようがないみたいです。
人間は他の人たちの生きっぷり死にっぷりを、
自分自身に当てはめて想像可能です。
この中途半端な想像力が恐怖の源です。
動物が死を避けるのは本能的なものですが、
人間だけは知性をもって死を怖がります。

「生の不安」と「死の恐怖」が人間を苦しめる。
常に不安と恐怖が精神を不安定にする。
これはたぶん人類史を通じて
不変の要素ではないでしょうか?
大きな傾向として人間は
若い頃は7割3割で「生の不安」が大きく、
年齢を経ると7割3割で「死の恐怖」が大きくなってくる。
つまり物心ついてから一生ずっと怖いわけです。

この苦しみからの「救済」ニーズに
長年応えてきたのが「宗教」です。
ではその時代の「救済」とは何だったのか?
「お伊勢参り」は人にどんな救済を与えたのか?

「生の不安」とは「この先どうなるんだろう?」という不安です。
見通せない未来に対する不安であり、
根本的な解決方法はありません。
「死の恐怖」とは文字通り「死」に対する恐怖です。
あらゆる生物が死を避けられない以上、
こちらも根本解決はできません。

根本的解決ができない問題に対して
取ることができるアプローチは?
ひとつは「誤魔化すこと」。
ウソでも何でもならべて、大丈夫だよと保証すること。
「未来は大丈夫。きっとうまくいく」と請け合うこと。
「死んでも死後の世界で救済される」と請け合うこと。
宗教とはまさにそのようなもので、
本文中では「詐欺」なんて書いていますけど、
それなりの役割があり、それは有効なのだと思います。

また「お墓」はいちおうは仏教アイテムですが、
日本のそれは、元になったインド仏教とは
すでにかけ離れたものになっています。

それはたぶん、
庶民の優れた脳制御システムなんですよ。
このあたり、世界の死生観と文化を
俯瞰していけば面白いのでしょうね。

子供には分からなくても、大人に習い、
やがてはその深い意味を知るようになる。
こんな話はもっとされても良いですよね。
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